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TOKYOから70分で行ける雪国

FOOD

-FOOD-

食は祈り

食は祈りでもありました。牧之の記録にあるように、普段の食は地主でも質素でした。行事日はイワイメーゲツ(祝名月)ともいい、神仏にご馳走を供え、五穀豊穣無病息災を祈って食したのです。

雪中と食

漬物は、長い冬を過ごすための保存食でした。この保存食に豊かな味と香りが加えられ 、名前も「香の物」となり、お膳にものぼるようになります。
冬の野菜の代表は大根でした。冬囲いと合わせて軒先に大根つぐら、大根だてが作られます。野菜を新鮮に保つ先人の知恵が引き継がれています。

雑煮

正月の代名詞でもある雑煮は、大根・里芋・人参・ 牛蒡・コンニャク・豆腐などの野菜に、アジ(鮭) などの魚が入っています。
力わらびと称して、ワラビ を加えるところもあります。 元旦から三が日、二十日の正月納め、三十一日の晦日正月など、主に正月のご馳走です。

餅は、正月中は雑煮とともに食られました。近年では、小豆のおしるこで食べることもあります。正月のお飾りには、丸い福手餅が供えられます。餅を食べる行事は多く、三月一日の犬の子朔日、三日のひな祭り、田植え始めのきな粉もち、お盆、九月1日の八朔、もこのころ)、十五日の十五夜、十月九日のクンチ(重陽、菊の節句、十九日、二十九日に行う所 もある)、稲の刈上げ(この日穂のついた稲二株 を神前に供えた)、十一月十日のトオカンヤ(亥 の子の祝、案山子祭り、大根の年取りともいう) 十二月一日の川塞ぎ朔日、この日は川塞ぎ餅をついて水神様に供えます。正月十六日の仏の正月には串餅(うちわ餅)を食べるところもあります。

赤飯

餅とともに、赤飯もたびたびメーゲツの食にのぼります。米を蒸すのでこわめし(強飯)ともいいます。初午(三月の最初の午の日、稲荷様の縁日でもある)、三月十二日の十二講(弓矢を作って山の神を祭る)、春の彼岸、七月七日のナノカビ(この日、川に薬水が流れてくるといい、日に七度水を浴び、七回飯を食う)、お盆、八月二十七日の諏訪祭り(尾花祭りともいい、ススキと赤飯を供え、ススキの青箸で食べる)、九月一日の八朔、秋の彼岸などで赤飯を食べます。村の祭礼、冠婚葬祭、人の成長のお祝いにも赤飯がつきます。

膳料理

行事食に出されるお膳料理は、最高のご馳走です。中でも一番は大晦日の年取りで、次いで正月です。この膳料理には、山菜のゼンマイ、ワラビの煮もの、鱒、ヤマメ、イワナの焼き魚、ケンチン汁、コクショウ(汁)なども出されます。また、豆腐は必ず使われました。

牡丹餅

二月八日の事始め・十二月八日の事納め(事の神様が里に下りる日と山に帰る日)、春と秋の彼岸、サナブリ(田植仕舞)、蚕上げ、稲の刈上げは牡丹餅です。仏の命日にも供えます。

小豆粥

正月七日の七草(七草粥の代わりとする)、十一日正月(若木迎え・蔵開きの日でもある)、十五日の小正月(成木ぜめで粥を木の根元に撒く。箸ははらみ箸を使う)、十八日粥(観音様縁日でもある)は小豆粥で、餅などが入ります。十二月 二十三日の大師講(弘法大師の跡かくしの雪の話を伝えるところもある)では、イリゴ(くず米) 粉の団子が入り、焙った大根のなますも作ります。

小豆飯

小豆を入れた米を炊くので、小豆マンマともいいます。正月十一日の十一日正月、二十日の正月納め、六月の蚕上げ、七月七日のナノカビ、十一月二十日のエビス講(豊作と商売繁盛)、十一月一日の神送り、十二月一日の 神迎え、その他に仏の命日、祝事など赤飯の代用の時もありました。

とろろ汁

正月三日から五日の間に食べ、風邪をひかないといいます。十二月二十三日の大師講に食べるところもあります。

そば・うどん

正月元旦、六日(六日年取り)、二十日の正月納め、三月初午、端午の節句、九月一日の八朔、十一月十日のトオカンヤを始め、来客のもてなしにも出されました。八月十六日の仏の立ち日には素麺で、荷縄素麺といいます。

その他

ちまきは端午の節句及び七月一日のキンヌギ朔日、カボチャは冬至と寒九、鯉はエビス講、納豆は正月の膳に上りました。

雑煮と縄文の食

雪国の雑煮は、大根などの野菜と鮭などの魚を煮こんだ具だくさんの料理です。煮るという料理方法は、人類の歴史の中で、土器によってできるようになりました。土器が作られるようになったのは、縄文時代です。それまでの「焼く」に加えて煮ることをできるようになり、食生活が豊かになった時代です。発掘された縄文時代の住居跡を見ると、土器で煮込んだザッコ煮 を、家族が炉を囲んで食べた様子が想像され、元旦の朝に家内そろって雑煮を食べる現代の光景と重なります。正月様の歌に出てくるカキ、クリ、トチも縄文時代からの食材です。

赤飯とこしき(甑)

米を食べるようになったのは弥生時代からです。このころは、米を、現在のように炊く・煮るではなく、こしき(甑)で蒸していました。いわゆる 強飯です。室町時代の越後小泉荘(岩船)国人領主色部家の年中行事には、正月三日に姫直しの食事があります。三が日の間、祝いの食事として強飯を食べてきたものを、三日の晩から柔らかい 姫飯に変わるのです。年中行事や冠婚葬祭の赤飯も強飯で、小豆で染まった色は、古代米の赤米のようです。

けんさん焼き

北越雪譜に「吹雪に焼き飯を売る」という話があります。焼き飯とは、おにぎりの表面をあぶったもので、携行食でした。おにぎりでも、少しぜいたくなものがありました。炊きたてのご飯を、小形の握り飯にして、それをワタシにのせて焼き、ショウガ味噌、ゴマ味噌を塗って、再びワタシの上にのせて焼いて食べる。これを、けんさん焼きといいます。このけんさん焼きを茶碗に入れ、大根おろし汁をさし、熱湯を注いで、くずして食べる、これを浪人雑炊といいます。名前の由来は、戦国時代に剣先に刺して焼いたので、剣さきがけんさんになったという説や、献残焼き、献歳焼きが転訛したものとも言われています。

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