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TOKYOから70分で行ける雪国

温泉onsen

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真白き世界に隠された知恵と出会う

snow countryは国内有数の温泉エリアでもあります。日本三大薬湯として知られる松之山温泉から、国内では珍しいラジウム泉を有する栃尾又温泉まで大小400の温泉施設がございます。越後湯沢温泉の湯元創始の年代は定かではないが、享和3年(1801年)に編さんされた『新編会津風土記』に湯沢の湯元が記載されている。承保3年(1076年)に、現在の堀切部落が内戸山くずれにより堰止められ、神立部落まで水が貯まり、池となった当時には温泉があったとされている。明治の頃は3軒の宿屋、木賃宿があった。

昭和6年(1931年)に上越線が開通、同年12月に現在の湯沢温泉の中心地・西山に温泉の掘削を始めた。翌7年(1932年)7月9日、温度71度、1分間に270リットルの自噴する温泉を掘り当てた。その後、次々と温泉掘削に大きな成果を上げ、現在の湯沢温泉の基礎ができた。また、昭和6年、上越線開通記念の長岡博覧会開催時に多数のお客を呼 び寄せたことで、現在のような大規模な旅館・ホテルが建ち並ぶこととなり、近代的なリゾート地としての最初の基礎ができた。

なによりも湯沢温泉を全国的に有名にしたのが、ノーベル賞作家川端康成の名作『雪国』である。氏は発表の前年頃から来遊し、「雪国」を執筆。その年36歳。今まさに文壇に躍り出ようという血気盛んな壮年だった氏は、昭和10年(1935年)、「雪国」を文芸春に発表した。その後、何度か映画化され、小説の冒頭のフレーズ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」とともに、湯沢は有名になっていった。執筆された部屋「かすみの間」は、現在も『雪国のお宿高半ホテル』の中に保存されており、一般の方の見学も可能である。

豊富な温泉とスキーのメッカとして観光客に親しまれて来た湯沢温泉も、上越新幹線工事が昭和47年(1972年)に着工されると、半年後には温泉の湧出量が3分の1に減少し、源泉井も数本は自噴しなくなるという一大異変が生じた。このような事態をきっかけに、永年の念願だった温泉集中管理事業を推し進める気運が高まり、昭和50年(1975年)6月24日、総事業費5億2187万円をかけた工事に着工。昭和50年12月15日に完成した。そのおかげで、現在では湯量も安定し、一般家庭にまで配湯できるようになりました。

湯沢温泉は、弱アルカリ性の単純泉で、筋肉痛・神経痛・疲労回復などに効果があるといわれる。現在は、15軒の温泉旅館・ホテルが温泉街を形成し、年間120万人ほどの温泉観光客が訪れている。近年は、外湯めぐり構想のもと、数ケ所の温泉公衆浴場や民間入浴施設が整備され、家族連れやスキー客などでにぎわっている。

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